狂った天命超えてゆくんだよ

解決しなければいけない問題全てに答えが出た。結局本格的な鬱になりかけて追い込まれたことによって答えが出た感じがある。ガラスが割られて、神奈川に逃げて、実家に帰ってまた不安定になって、全く波乱万丈としかいえない。同期でこんな体験をした人間は早々いないだろう。本当に疲れた。

…まあ答えを書くと、ストレスってか悩み続けたのがよくなかったよね。

今日、家族が再び襲ってくるという可能性が0ではないという事実を恐れて、また精神的に不安定になった。この考えは反証されていまは安心して落ち着いている。要するに、心にとって負担になる要因がよくなくて、不安に繋がる悩みが身体をぶち壊すレベルの破壊力を持ってるってわけ。実際家族があの日刃物を持ってたら命が危なかったわけで。そうはならないけど、現実は個人が心で認識したように映ってしまう(投影の心理作用もそうだが)のがつらいとこだよね。人は心という名の魔物をコントロールする義務を負っている。

例えば、すぐにお腹が痛くなるから、気休めに外出するときに紙オムツを履いている。俺はこの事実を最悪だと思ってきた。外出する時に俺の心の中にそういう負い目と、トイレにいけないかもしれないという不安要素が発生する。この積み重なりが悩みを大きくしてきた。今回神奈川に遠征して、もはやそんなことを気にしてられなくなったり、現実を受け入れることにして万一漏れても許容しようと考えざるを得なくなってからは、はっきりいってどうでもよくなった。つまり””悩みが消えた””のだ。

生まれてこの方悩みを持っていたことしかない。悩みばかりの人生を歩んできたから悩んでいる状態が普通じゃないと気づけなかったのかもしれない。小さい頃に戻れたら治ると言語化してたことはあったが・・・。横槍メンゴが思春期は自分の存在価値が揺さぶられる出来事の連続ですと言っていたのが嬉しかったのも、結局この時期が、才能の差とか受験とか恋愛とかで人の心に悩みが生まれ始めやすいってことなのかな。実際中学になったあたりで自分の顔が嫌いになったけど、もうどうでも良くなったわ。ペシミスト、生存本能によって悩みが減らされ始める。映画化決定。

んで傷つきやすいとかイライラしやすいってのは、まあ依存だよね。これも割と感情の制御権が自分以外に渡るって点で不安の心理作用と関連してるような気がするんだが・・・。多分人間はしんどい感情が強くなるほど気持ちをわかって欲しくなるから人との距離感が近くなる。人に対して負の感情を揺さぶられるってのは、ずっとつらい感情が心の中を占めていた結果だ。悩みがベースにあって、その悩みが生む依存心が満たされない状態が、イライラしやすい、傷つきやすいという反抗を生む。これが心理社会的ストレッサー。親と会話して気持ちが伝わらないと感じて症状が悪化したのはこのせいだろう。今は完全に理解されることは期待しないで、なるべく遠い距離間を保とうとしている。他人は信頼できるチンパンジーなので。そしたら良い感じになった。

結局瞑想しても抗不安薬を飲んでも一向に病気がよくならないのは俺が悩み続けたせいってわけだ。ポケモンの「なやみのタネ」ってわざでとくせいが「ふみん」になるのもヒントになった。俺と他の人との決定的相違点、””悩んでいるかいないか””。

さぁどうかな?俺はまた間違っているのかな?にやにやしながらこれからの展開を待ちます。

3月26日にあったこと

睡眠、起床後、いつもと違う不快感がある

昼間 体調がいつも通り悪い

夕食中 母と会話 腹に激痛 かゆみ

その後いつもと違い 心と体が壊れそうな感覚が体に残る

腹痛 排泄後に軽減→壊れそうな感覚が体の中で強まるが約1時間半繰り返される

途中意識が朦朧とし始める ただ死にたくなる、壊れそうになるとしか言えない感覚が胸のあたりから消えない。両親を呼んで近くにいてもらう。左耳が聞こえなくなり始める。

15分近く両親に嘆き励ましてもらい、なんとかピークを越えて、その後数時間後も残る

母に、中に抱え込むな、言いたいことは全部言え、外に出せと言われ、反射的に言いたいと思ったことをすべて口に出し、大きな声を出してみたり、吐き出しながらなんとか気分を紛らわし、なんとか深夜2時頃就寝。快眠。

翌日、現時点まで同じように過ごす。入浴し体を洗い、すっきりした。

 

結論から言うと今日までやってきた自己啓発的なことはすべて無駄だった。そして死線をくぐることを代償に俺は抑圧によって自分が無意識にストレスを溜め込む体質になっていたことをはっきり自覚した。人間はストレスを溜め込みすぎると地獄を味わう。そしてそれは世界で最も優先して回避しなければいけない状況だと確信した。

万人の死角

自分の精神が憎しみに支配されていることを知ってから、それを改善しようとして1か月が経った。最終的には現状に満足していれば憎しみの感情は生まれないということで、何も求めないことを意識したりなんとか完璧主義的な部分を改めようとしてる。その結果少しずつ家族と昔みたいに仲良く関われるようになった。それから少しだけ過ごしやすくなった。あらゆる事態に反射的に憎悪の感情が起きているので、なかなかすっきりはしない。

多分イライラしやすいというのは生体反応の結果で「核」はここじゃない。自分が精神的に動揺しやすいことを知って、そのケースごとにどうすればそうなりにくくなるかをいろいろ試してきて多少過ごしやすくはなったけど、このやり方は二次被害を抑えてるにすぎない。じゃあ問題の根本はどこだ?俺は考えた。

俺が通っているクリニックには、「脳神経疾患研究所」という肩書が名前の一部に付されている。脳神経。要するに人体の情報伝達の役割を担う組織。

早い話、神経に恐怖心が一般的な人よりも強く刷り込まれているから、生存本能として不安や緊張が強かったり、攻撃性が刺激されてイライラしやすいという症状がでているのではないか?という話。

悪夢を見る。今日は夢にシャチがでてきた。シャチの目の模様に恐怖心をかきたてられるのは多分誰しも同じようにあると思う。幼稚園の頃タイツの肌触りを異様に嫌っていた。今も衣類の材質に狭量だ。野菜が苦手だし偏食だ。子供のころから刺されたこともないハチを異様に怖がっていた。小さい頃からたまに夢に出てくる。

大変な家庭環境で育った。苦痛と感じる時間は長かったけれど、虐待のような特別な恐怖体験をしたわけではないのだ。つまり、"最初からおかしかったのではないか?”今その可能性が高いと思い始めてきている。

兄弟に発達障害者がいる。俺は発達障害に類する病気と診断されてはいないが、しかしどうにもおかしい気がするのだ。周りの人との違和感はずっとある。このブログを読めば、その感覚はある程度共感できるものになっていると思う。なんたってハンドルネームを粗悪品にするくらいだし。そもそも病名で精神的な欠落を区別するのは、医療的に対処する効率をあげるためだろう。グレーは存在する。

といっても今の俺はあまりこのことで悲観的にはなっていない。慣れたというのが、まあ一番のところだと思うけど(笑)、実際そのへんでよく起こっていることだと思えるようになった。むしろ新しい見方を得られる所までたどりつけて嬉しい。まあ全部、今日の俺の推測にすぎないが。

その一方で人生の確度を見直さなければいけないなと思っている自分もいる。2、3年後、もし今と変わらないような状況かもしれないと思うと、怖いのだ。

こんな感じで、睡眠の質が改善しない、イライラしやすいという状態の原因には、まだ不安感が強く関与しているのではないか?という風に考えた。主治医にも瞑想は続けた方がいいと言われたし、自分で体の調子を見てもそうした方がいいなと思い始めてきた。めんどくさ。まあやりますけどね~。

快哉を叫ぶ

奇跡が起こった。奇跡が起きるときまで生きてきたのは俺だから、俺が奇跡を起こしたと言ってもいいと思う!!!俺は生まれてきて初めて奇跡と呼べる出来事を体験した。

2021年3月1日のスキーマ

状況:ツイッターで誕生日祝いのメッセージを送りたい

思考:うっとうしいと思われないかな

感情:自分の気持ちをどうしても第一に考えられない

症状:不安な気分

そして、

行動:自分を許容してもらえると周りの人を信じよう!

自分の行動で人に迷惑がかかると思い上がらないようにしよう

俺の心がいつまでも元気にならない、その原因の最も深い場所にあったのは、周りの人を信じれない、信じていないということだった。

ヒント、というかそのことに気づかせてくれたのはずっと好きでいた唄だった。

 

♪ひとりぼっちじゃない

君のことを必要な人がかならずそばにいいるよ

恐れないで 勇気捨てないで 君はひとりぼっちじゃない

憎しみが うずまく未来が 僕らを飲み込んでも

信じ合い 許し合える心 いつでも なくさないで

争いが 絶えない世界に 僕らが迷い込んでも

愛し合い 分かち合える心 いつでも 忘れないで

 

♪アカシア

転んだら手を貸してもらうよりも 優しい言葉かけてもらうよりも

隣で信じて欲しいんだ どこまでも一緒にいけると

 

ずっと消えない不安は、俺に自信がないからではなく、周りを信じれなくなっていたからだった。憎しみの感情は人を敵意に浸し、愛を向けられない状況を作る。そうなったら、世界のすべてを許せなくなり、笑顔にはなれなくなってしまう。

勉学やスポーツ、友情、恋愛など、人と競い合い、時に奪い合うことは、憎しみの感情を人に覚えさせることもある。その気持ちが純粋なら純粋なほど。

でもそれを繰り返していたら、心はどこまでも荒んでしまう。

だから、人を許し、心を分かち合い、愛し合えるようになるんだ!!!!!!!

人の善意を信じるようにしたら、人目を気にしていた気持ちが

すっと消えた。

初めて会った日から 僕の心の全てを奪った

もしこれからも生きていけるならもう大丈夫だと思う。自分の心に住んでる”鬱”の話を聞いてあげた。きのう悪夢と同じような内容の夢を見て、うんざりする不快だという感覚だけが消えていた。その夢の中で俺は自分の心の声を聞こうとしていた。俺は本心を無視することを当たり前のようにやっていたから、それを心は警告してくれていたのかもしれない。自転車で速くなりたいと願っている自分も本当だけど、練習を休んで楽をしたいと思う気持ちも尊重してあげないといけなかったんだ。

運命を配置していくような神様的な存在がいるとして、人生には「カベ」「うれしいこと」「かなしいこと」になり得ることがあって、でも本当はそこに"いいこと"と"悪いこと"の区別はなくて、ただ「出来事」が配置されているだけ。「出来事」ならとらえ方とそのあとの自分の行動次第で、いいことにも悪いことにも変えることができる。だから、自分をダメだ/不幸だと決めてしまうのは自分なんだ、やっぱり。

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あと情動が逝かれてる件については、基本的に過干渉だと思う。憎しみは興味を持たなければ生まれないから、自分は他人との距離感が近すぎるんだと思う。人の目を気にしたり、雑念として他人のイメージが沸いてくるのもこれだと思う。ジャッジされる環境で長い時間を過ごしたのもこれと自己愛の欠如に関係しているのかなあと思ってる。

何より今、楽しいよ。この世界の仕組みがおもしろい。人生がおもしろいよ。

灰色の……

自分がわかってきた。と思う。やっぱり実のある話はしない方がいいと思う。なんだろう。やりたいことを書きたい。普通が達成できずに余っている時間とエネルギーを特殊なことに充てて何かおもしろいことができればなと思うんだけど。

はやくツイッターに戻りたいな。おいしいご飯が食べたい。静かで広くて綺麗な場所に行きたい。よく眠りたい。もっと楽しく自転車に乗れるようになりたい。昔の時間が何らかの形で清算されてほしい。いつの日かこの路だから見つかった栄光を掴みたい。